教室長山田優輔の中学時代の話

山田ゆうすけ

こんにちは!Makeage(メイケージ)教室長の山田優輔です^ ^

「先生の中学時代のことを聞かせてください」とリクエストがありました。

今までで一番どうでもいい話かもしれません(笑)が、少しでも興味を持ってくれた方に向けて、今日は「山田ゆうすけ」の昔の話を書きます!

経歴

最初にざっくり、経歴は

真砂2中(現真砂中)→稲毛高校→中央大学です。(↓母校)

真砂二中(現真砂中)

稲毛高校

中央大学

入学前の初期設定

そしてまず、中学時代の話の、”前提”となる話をします。

 

3つ上の兄が「県千葉」に合格し、それと入れ替わりで自分は中学に入学しました。

  • 「『県千葉』以外の高校は特に知らない。『千葉東』は、まあなんとかましな高校らしい(←とんだ勘違い野郎の上から目線の無知のクソガキでした)。」
  • 「定期テストは基本的に450点〜480点ぐらいが普通らしい。まあ、小学校のテストなんてほとんど90〜100点だし、それぐらいが妥当でしょ。」

それぐらいの知識と常識を備えた”山田ゆうすけくん”が中学に入学しました。

 

最初のテストで、、、

まず、最初の定期テストの衝撃を覚えています。

テストはたしか390点ぐらい。普通に生きているだけで取れるはずの450点が取れない…

きわめつけは、理科60点。

「ろ…ろ…ろ、ろ、ろくじゅうぅ!?」

となったのを覚えています。

とにかく、自分のもっていた常識と、現実に大きくギャップがあったことに衝撃でした。

このとき、試験勉強は約0分。大げさに盛っても全部で10分もやっていなかったと思います。

つまり、当然の結果でした。

これで反省して次に活かすかと思いきや、次回以降ももちろんノー勉。。。

「全然勉強してないやー」とかいう例のセリフとは違い、本当に勉強してないただのバカ者でした。

しかも、「勉強してない」ことにも気づいていなかったと思います、バカだったので(笑)

毎回少しづつ点数を落としていました。

 

中1最後の定期テストで

そんな失敗を重ねまくり、ついに1年生の最後のテストで

「このままじゃ自分超ダサいな。ちょっと本気出してみよう!」

と思い、初めて自ら勉強したのを覚えています。

これが中学時代の勉強面の最初の変化だったと思います。

 

ついに受験生に

話は飛び、3年生になり部活も引退で受験生。

ずっと市立千葉を第1志望にしていました。

  • みんなが「県立」のところ、自分は「市立」。みんなと違うぜイケてる
  • 仕組みはよくわからないけど「単位制」。みんなと違うぜイケてる
  • とにかく近いところで自転車で行く。早く帰ってバイトでもしよう。イケてるし

ぐらいの志望理由でした。

 

当時自分が受けていた模試では、偏差値がたしか

  • 県千葉62
  • 千葉東60
  • 市立千葉54
  • 市立稲毛53

でした。

 

夏の始まりの時点で、偏差値は55ぐらいだったと思います。

「県千葉、東ぐらいいけるぐらいの偏差値で余裕で市千葉にいってやろう!そんなやつあんまりいなそうだしイケてる!」

とわけのわからない野望をもっていたので、ずっと偏差値60以上を目指してやっていました。

結果、3年の冬で偏差値61。目標は達成できていました。

 

このときは想像もしていなかったです。

 

市千葉に落ちることを!(笑)

 

市千葉の試験がまったくできなかったんです。

試験中に落ちることを確信しました。

結局、合格発表すら見に行きませんでした(笑)

 

試験終了と同時に本当に走って家に帰り、初めてそこから本気で勉強しました。

勝手に”格下”だと思っていた市千葉に、コテンパンにされた自分に非常に強い怒りを感じました。

 

一般試験(現在の後期試験)は、事情もあり稲毛高校を受けることになりました。

「1ミリも落ちると思っていなかった市千葉に落ちた。おまけに1度も志望してこなかった学校を受ける。こんなに情けないことをするんだから、死んでも1位で入らなければならない。」

と自分で覚悟を決めました。よくわかりませんが(笑)

 

この市千葉の試験日から一般試験までは本気で勉強し(でき)ました。

(「不合格」という経験のおかげで初めて本気の本気になれたので、結果オーライだとは思っています^^; )

 

一般試験では2位で入れたみたいでした。1位ではなく。

450点取れるように勉強していたが、結果は447点。

 

結局私の高校受検は、「市立千葉」と「稲毛に1位で」という勝負どちらにも負け、目標点にも届かず、負け続けの高校入試でした。

 

総括

よかったなと思うことは

  • 両親からは一切「勉強のこと」や「兄弟や周りと比較」されなかったこと。
  • その中で「テストの点数を落とし続けたこと」と「第1志望に落ちたこと」を自分の行動と責任で経験させてもらえたこと。
  • 親が一切何も言わないおかげで「自分自身で気付かさせる」という経験をさせてくれたこと。
  • 周りと比較せず兄よりできない(やらない)自分を腐らせないでくれたこと。

だと思っています。

 

以上が中学時代の「勉強面」の話でした!

 

2019年4月追記

この段落は、別の記事で書いた自己紹介を追記したものです。

新中3生キックオフオリエンテーション@2019.03.09 (Sat)

2019年3月11日

私は「兄は『県千葉』→『東大』なのに、俺はへっぽこ。高校受験は兄よりはるか下の学校に落ちるし、大学は国立諦めて私立だし、親に迷惑かけてる。」

ずっとそんな感じの劣等感を心のどこかに持っていました。

 

中学校の面談では、ほぼ確実に担任の先生から

「お兄さんは県立千葉なんですね!」

という一言。からの、高校では

「お兄さんは東京大学なんですね!」という一言(笑)

 

ほんと勉強の話は好きじゃなかったし、心の底から勉強に興味なかったし(逃げてた?)、まあとにかくコンプレックスでした。

 

しかし、母がいつだって自分の味方をしてくれました。

学校の面談では、普段怒らない母が、先生のお決まりの例の一言に対し、

「今それ関係ないだろボケェ!私はこの子の話をしに来とんじゃドアホ!」

ばりの勢いで(笑)、先生の悪気があったかどうか知らないですけど、そんな心無い言葉から自分を守ってくれました。

 

「大学は国立しかありえない。経済的にも私立大にいくのは無理だし、国立にいくのが義務だ」と思っていたけど、

「本当は私立の東京理科大か中央大のこの学科に行きたい。場所的にも、東京の都心にある学校がいい。でも、、、無理だよね。てか、兄と違ってごめん。」と恐る恐る伝えたときも、

「いいじゃん!中央とかってMARCHでしょ!?かっこいいじゃん♪私なんて高卒だよ?いけるもんなら私もMARCHいきたいわー東京いきたいわー!頑張ってね!!!」

と言ってくれました。

 

母が自分の味方をしてくれたように、ぼくも200%みんなの味方です!!

そんな感じで育ったので、

  • 「俺はみんなを兄弟や周りの人と比べたりは決してしない!」
  • 「勉強が適当な人の気持ちもわかる!」
  • 「成績が上がったあと油断する人の気持ちもわかる!」
  • 「そして失敗した人の気持ちもわかる!」
  • 「そういう人を怒ったり責めたりしない!」
  • 「勉強は誰でも必ずできるようになる!」

そんなことを伝えました。

 

だから、困ったことがあったら頼ってくださいね!

 

勉強以外の面

小中学生時代はずっと野球をやっていました。

中学の野球部では、自分のおかげではありませんが千葉市優勝もできたりしました。

 

高校ではまさかのラグビー部の主将でした。

話題の五郎丸選手と同じポジションで、同じくキッカーでした。

↑高校のラグビーやってたときの写真です(笑)↑

なので高校時代は今より体重が15キロぐらいありました!今や見る影無しですが。。。

 

そんなところで昔話を終わりにします!

最後まで読んでいただきありがとうございました^ ^

 

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